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2006.04.19 Wednesday
第二回TSUNAMIコラム
第2回目です!都並コラムじゃんじゃん更新していきたいのですが、コーチの仕事は結構忙しくてなかなか出来なくてすみません・・。ぺルナの代表がせかすから頑張って書きますよ・・。じゃあ今回は「子供の頃の自分、読売との出会い、思い」ってな感じでお話いたしましょう。サッカーというスポーツに出会うまでは、バリバリの野球少年!巨人軍の野球練習場が家から近かったこともあり、ヒマさえあれば自転車に乗って見学に行ってました。そのころのスターといえばご存知長島、王の両スーパースターですが何故か自分が好きになる選手はちょっと地味な脇役で実力者がお気に入り・・。国松彰という渋い選手が好きで、両親に初めて買ってもらったユニフォームにはその人の36という番号がつけられていました。ナイターを生で観戦した時にその国松選手がホームランを打ち、その後、守備位置のライトにつく際に、なんと帽子を取ってスタンドで応援する僕たちに一礼してくれたのです。そんなやさしさに惹かれたのがファンになるきっかけでした。そうして野球にハマりこんだ都並少年は仲間と共に多摩川の河川敷で、暗くなるまでボールを追いかけていたのでした。(多摩川は生まれた時からずっと僕のホームグランドなのです、時には野球、後にサッカー、妻とのデートも多摩川でしたし・・プロになってからも自主トレも、リハビリもそうでした。今はもっぱら愛犬に散歩をさせながらスタミナ不足にならないように、犬を追い掛け回して自分を追い込んでいます・・。もしその光景を見かけた人がいたら声をかけてくださいね。)話がそれました・・10歳の時に赴任されてきた先生の勧めでサッカーに目覚めた僕と仲間たちは、新しく取り組む未知な球技の難しさにどんどんハマッていきました、運が良い事に近所に慶応大学のサッカー部に所属していた佐藤さん(長らくお会いしていません・・)という方と、何故かは思い出せませんが知り合いになれて、河原でいつも新しい技術を教えてもらえたのでした・・。今の少年たちがロナウジーニョのフェイントに憧れるように、僕たちは「佐藤さんってほんとにうまいよなー!」と憧れたものでした。そのころから少しして別の友人が「読売サッカースクール」に入っているという噂を聞き、紹介してもらい入団したのですが、それから僕のサッカー人生が本格的にスタートしました。何故ならそこはサッカーに惹かれ始めていた少年にとってあらゆる意味で刺激的な空間だったのです。今では信じられませんが、「トップチームの芝生のグランドは遊ぶだけなら使い放題」「ミニゲームにトップの選手が遊びに入ってくる」「サッカーの上手な友達との交流」などなど、とても魅力的な要素が目白押しでした。その後、ジュニアユース(そのころはユースB)に進んでも、クラブに入って最初に感じた刺激!、魅力!は変わらないまま持ち続けていました・・。
日曜日は朝早くから友達とグランドに向かい、試合はボロ負けするんだけど(ホント弱かったです、みんな好き勝手にプレーしてたので・・)その後に5〜6時間遊びながら裸足で出来るミニゲームが何よりも楽しくて・・。その「遊び」にもトップの選手たちが「自主トレ」で混ざってくれたり、「ラモス」がブラジルからやってきて一緒に遊んでくれたのもこの頃でした。そのころのジュニアユースは週3回くらいだったので、週末が待ちどうしくてしようがなかったのを覚えています、それ以外の日には「読売」に一緒に通うようになっていた元野球仲間たちと空き地や公園でミニサッカーに明け暮れました。近所の人たちから後に、「あれだけ練習していれば日本代表にもなるわよねー」と言われるくらい・・。それだけ一途にサッカーに惚れ込んだのも、最初の「読売」で知った「サッカーって楽しい!」という強烈なインパクトのお陰だと思っています。実際にその元野球仲間たちの中から「日本代表」が2人も出ているのだから(僕と戸塚選手ね)かなりサッカーに打ち込んだのがお分かりになるのではないかと思います。学校の行きも帰りも「読売仲間」たちと石や缶を蹴りながら通いました。いま思えば近所迷惑な少年たちですよね・・。高校(クラブはユースA)に進んでも基本的には「読売」中心の生活。学校には勉強をしに行くだけの所(あまりしませんでしたけど・・)という考え方。早く学校を終えて多磨の山のうえに行き、サッカーをしたい!早くクラブに着けばそれだけ長くボールに触れていられる!というボールが恋人状態にみんながなっていたような気がします。だからよみうりランドの駅から山道を歩いて登ってくる時に、一刻も早くクラブに着きたくて早足になってしまうのような感覚でした。これって幸せですよねー?高校サッカー出身の厳しい環境で育った方が、これ見たら信じられないような許せないような、という感じじゃないのでしょうか。もちろん厳しい練習もしたけれど僕たち「読売生」は、常にサッカーに「楽しさ」を感じながら夢に向かって進むことが出来たのです。今思い返しても「なんて楽しい青春時代」なんだろうと有難く感じます。こんな環境でプレーを続けてこれたからこそ、未だにサッカー大好きオヤジで(8月で45歳です!)いられて、選手を目指す息子達にえらそうにウンチク語っていられるんだから本当に「読売」には感謝しなくちゃです。だからこそ今年は「自分を育ててくれた読売&ヴェルディ」また今度詳しく書きますが自分を伸ばしてくれた「恩人ラモス」の為に戻って仕事したい!と思いヴェルディに戻る事を決断したのですから。
こうやって書き出すといつまでも書き続けたくなるほどエピソードは山ほどありますが、やる事も多いので今回はこれくらいにしておきます。とにかくペルナトルタとの繋がりも「読売」ですし、自分が大切にしたいと思うのが「読売仲間」なのです。先輩も後輩も同期もクラブのコーチもみんなが本当に熱くなりサッカーに100%の情熱をかけて毎日を生きてました。「あの頃」を一緒に過ごした人たちとは、心の奥で同じ価値観を共有しているような感覚があるのです。「俺たちは読売のサッカー、読売のスタイルを愛してるぜ、読売というクラブにサッカーを愛する気持ちをもらったぜ!」悪いところもたくさん持っていたけれど、そんな気持ちにさせて貰えた、一本「芯」が入った素晴らしいサッカークラブだったと思います・・。読売からヴェルディになり今年はまた「新生ヴェルディ」になりました。選手もスタッフもクラブ職員も変わりました、でもどんなに人が代わろうとも、みんなが「サッカーが大好き」でそれぞれの立場で情熱と責任を持って毎日を過ごせば、「読売」のように外から見ても「愛」と「哲学」を感じられる、素敵なクラブに戻れるはずです!ファンから愛され、なお且ついつでも強い!そしてどんどんよい選手が生まれてくる!新しいヴェルディが再び黄金時代を迎えられる条件だと信じています。書いていくうちに熱くなりましたが、「新生ヴェルディ」応援してください!!そして「ペルナトルタ」も少しはよろしく!
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